タイ音楽というと、セレブな白人が集まるタイ料理屋でかかっているようなタイ古典音楽を思い出す方も多いかと思いますが、実際に一般のタイ人が聴く音楽はあの手の音楽ではありません。ごく大ざっぱに現代のタイ音楽を分類するとすると下記の4つになるのではないかと思います。もちろん、それぞれが混ざり合うことも珍しくありませんし、この範疇に入らないものもありますので、あくまで1つの分類方法であると考えて頂ければと思います。
☆ ストリング(いわゆるポップ音楽)
☆ ルークトゥン
☆ モーラム
☆ プレーン・プア・チーウィット(一般に「生きるための歌」と訳されている)
まず、最初のストリングですが、これはタイ語版Wikipediaでは、西洋風タイソング(เพลงไทยสากล)と同義語として扱われており、その定義は「西洋音階にのせてタイ語で歌われる音楽のこと」となっております。簡単にはタイのポピュラーミュージック、またはタイの歌謡曲とでも考えればいいのではないかと思います。ただ、歌謡曲という性格上、商業ベースの楽曲作りになっていることが多く、歌詞としては「シアチャイ(残念だ)」、「ジェップチャイ(心が痛い)」、「キットトゥングター(あなたが恋しい)」といった恋愛絡みの台詞のオンパレードです。
次にルークトゥンですが、これは日本語でタイの演歌、牧歌、または民謡と訳されることが多いようですが、それらの言葉の日本的なイメージとは違うかもしれません。ルークトゥンは田舎の生活や社会を歌ったものですが、タイ独特の音楽であり日本の音楽と比較すること自体難しいかもしれません。ルークトゥンとは、ずばり田舎者という意味ですが、この呼び名が生まれたのは1964年ということですから、それほど長い歴史をもっているわけではないようです。正直あまり好きじゃないということもあって、翻訳者はルークトゥンには詳しくないのですが、タイ人の間ではスラポン・ソムバットヂャルーンという歌手が1960年代後半ルークトゥン黄金時代の立役者として人気があったそうです。それと、興味深いのは、初期のプレーン・プア・チーウィットも曲調はルークトゥン調だったようで、それだけ当時はこの音楽の影響力があったということでしょう。ルークトゥンに興味のある方はFM95(Modern Radio)を聴いてみてください。
モーラムの歴史は古く、タイ東北地方(イサーン)及びラオスにおいて何百年と引き継がれてきた伝統音楽です。翻訳者はシンガポールのタイディスコでモーラムを聞いたことがあります。この時は、あの竹の筒で出来たケーン(モーラムに不可欠な笛のような楽器)が鳴り始めたとたんに、客席にいたタイ人の出稼ぎ労働者たちが目の色を変えて踊り始めました。顔つきからも、話し方からもイサーン出身の人たちであることは間違いありませんでした。イサーンの人たちにとってモーラムはソウルミュージックであると言ってよいでしょう。ただ、最近では、ルークトゥンとモーラムの境界線が曖昧になってきているようで、違いが分かりにくいような気がします。昔ながらのモーラムを聞こうと思ったら、ルーク・イサーン(東北タイの子)を見れば良いのではないかと思います。この映画は最高です。私などテープが擦り切れるくらいまで100回は見たと記憶しております。
そして最後にご紹介するのが、プレーン・プア・チーウィットです。私はこのジャンルこそがタイ音楽の真髄だと思っています。プレーンとは「歌、音楽」、プアは「~のため」、チーウィットは「人生」ですので、「Songs for Life」、つまり「人生のための歌」となります。ただ、日本語として「人生のため」とはどういう意味なのか分かりにくいので、(どちら様が最初に訳されたのか知りませんが)「生きるための歌」とするのが良いかもしれませんね。
プレーン・プア・チーウィットは元々下層社会で貧困に苦しむ人々の生活だけを歌詞の中に詰め込んだものだったそうです。この傾向に変化が現れるのが1973年です。ご存知の方も多いかと思いますが、一部のタイ人にとって10月というのは特別な月です。なぜかというと、1973年10月14日及びその3年後の1976年10月6日の2回、同じ10月に民主化を求める学生と軍部・右翼がぶつかりかなりの数の死傷者出す惨事となったからです。特に、10月14日の方の政変は、今でもタイの民主主義にとって重要な日であったとする人が多いようです。そんな社会情勢を反映して、1973年頃からプア・チーウィットは、政治を皮肉りながり民主主義を要求する姿勢をも打ち出すようになり、一気にブームを起します。その頃人気があったのはカラワン、ハンマー、コームチャーイといったバンドであり、彼等に影響を与えたのはボブ・ディラン、ボブ・マーリー、ニール・ヤングといった海外のミュージシャンだったようです。
そして、以降もプアチーウィットは人気を博します。タイには、タイの様々な社会問題がありますし、1970年代以降では1992年5月17日の政変のように政治的な大きな事件もありました。ミュージシャン側からすると歌の種はつきないといった感じではないでしょうか。1970年代のプアチーウィットは、ルークトゥン色、さらにはフォーク色の強いものでしたが、時代と共にロック色が強くなっているような気がします。
現在、プア・チーウィットの代表的なバンド、ミュージシャンと言えば、大御所カラバオ、元色男ポンシット・カンピー、ポンテープ、インドジン、マリワナといった面々でしょう。今回は、その中からポンシットとカラバオのヒット曲を紹介したいと思います。ヒット曲とは言っても、どちらもメッセージ色の非常に強い曲です。プレーン・プア・チーウィットの歌詞というのは、奥が深いものです。使われている言葉や言い回しも難解です。ですが、意味を考えながら彼らの曲を聴くというのは楽しいものです。
1つ目の曲は1993年にリリースされたアルバム「マー・ターム・サンヤー」の中の2曲目に収録されている曲で、ポンシット・カンピーの名前を世間に広く知らしめた曲です。前述のように1992年5月には政変(暗黒の5月事件)によりバンコクで何百人もの犠牲者が出ており、このアルバムには社会に対する並々ならないメッセージが込められている感じです。
2つ目の曲は1995年にリリースされたカラバオの2枚組みアルバム「ハーク・フアチャイ・ヤング・ラック・クワーイ」の先頭に収録されています。今でも人気のある曲ですので、タイ全土にあるタワンデーン(プア・チーウィット専門のライブハウス型ディスコ)に行けばどこかのバンドがカバーしているのではないでしょうか。曲名のロン・ワットとは、ロン・ワタナタムの略で「文化を見失っている」という意味ですが、一般に使われる言葉ではありません。カラバオの造語ではないかと思います。タイの伝統的な音楽、リズムを忘れ若者がラップやロックに合わせて妙なダンスを踊っていることを嘆いている曲で、曲の中では資本家を糾弾するなど、カラワン時代から続く学生運動的な匂いも残しております。ただ面白いことにカラバオは(タイの多くの政治家同様)プラチャーティパタイ(民主主義)という言葉を好んで使います。またバンドのリーダーであるエート・カラバオ本人は(アメリカ寄りの)フィリピンへの留学経験があり、カオボーイファッションを好み、アメリカンチョッパーに乗るなどバリバリのオールドアメリカンテーストの持ち主ですが、一方で80年代は反アメリカをテーマにした曲をたくさん書いていました。このようにカラバオの特徴は資本主義と共産主義、愛国主義と民主主義、伝統と革新といった一般に相反するといわれる思想(?)を持ち合わせていることでないでしょうか。特に最近はボブ・マーリーにライフスタイル共々傾倒しており、レゲエ的なパーフォーマンスも見せてくれます。ラップやロックはダメでもレゲエは許容範囲ということでしょうか。。。いや、そもそもカラバオの音楽自体バリバリのロック調のものもあるような。。。まあ、その辺はご愛嬌ということで。
ผ่านไปสองปี ที่เธอ มาหายจาก
君がいなくなって2年がたった
ข่าวคราวว่า พ่อแม่เธอ นั้นพาไปขาย
両親が君を売り払ったんだってね
เจ็บและช้ำ ต้องจำทน
つらくてもどうしようもないよね
เพราะความจน บังคับจิตใจ
お金がなくてどうしようもないんだから
จากเชียงฮาย ไปขายตัวอยู่สุไหงโกลก
チャンライからスンガイコーロクへと身を売りに出てしまった
พี่ตั้งตารอ ให้เธอ กลับคืนบ้านนา
僕は君が家に帰ってくるのをずっと待ってばかりいる
ถึงไม่มี ทีวี ตู้เย็น ก็ไม่เห็นเป็นไร
テレビや冷蔵庫なんかなくってもいいじゃないか
ทิ้งความเชื่อค่านิยม ของคนเก่าล้าสมัย
時代遅れの古い価値観なんて捨ててしまおうよ
ช่วยกันทำนา ปลูกข้าว ยังพอได้อยู่
協力して田んぼに米を植えればなんとかやっていけるだろ
*ผ่านชีวิตได้ชื่นชมโลกสวย ได้เพียงสิบห้าปี
きれいな世界を見て過ごせたのはたったの15年間だった
ได้แค่นี้ชีวิตกลับมาพบ กับความมืดมน
たったこれだけで後の人生は暗くなってしまった
ผ่านมือชาย เป็นร้อย เป็นพัน
ต้องกล้ำกลืน และอดทน
百人、千人からの男の手に触れられても耐え忍ばなければならないんだね
เพื่อเก็บเงิน ส่งบ้าน ไถ่ถอน ตัวเอง
お金を貯めて家に送り自分を買い戻すために
<*繰り返し>
ถึงใครใคร รังเกียจ เหยียดหยาม ตัวเธอ
誰もが嫌がって君に近づこうとしない
พี่ยังรักเสมอถึงเธอ จะเป็นอย่างไร
でも僕は君がどんなになってもずっと好きだよ
อยู่ทางนี้ พี่ทำงาน ทำนา ทำสวน ทำไร่
僕はここで仕事をし、稲を植え、果物を育て、畑を耕して
จะเก็บเงิน ไว้ไปไถ่เธอคืนมา
お金を貯めて君を取り戻すよ
อยู่ทางนี้ พี่ทำงาน ทำนา ทำสวน ทำไร่
僕はここで仕事をし、稲を植え、果物を育て、畑を耕して
จะเก็บเงิน ไว้ไปไถ่เธอคืนมา
お金を貯めて君を取り戻すよ
曲名: หลงวัฒน์ タイの文化を守れ
歌手: คาราบาว カラバオ
จนป่านนี้ ไม่มีวี่แวว เป็นไปแล้วทั้งหญิงและชาย
男も女もこんなことになってるなんて全く気付かなかったよ
บ้างก็แร็ป บ้างก็เป็นร๊อค เต้นท่าช็อค ท่าชัก ท่าโช้ค
ラップやロックにあわせて痙攣でもしてるかのように踊ってやがる
เกิดเมืองนี้ ใช่เกิดเมืองไหน เกิดเมืองไทยต้องเต้นอย่างไทย
他でもないここで生まれたんだろ
タイで生まれたんならタイのやり方で踊りな
เต้นรำวงสามช่าเอาไหม เต้นตามประสาคนไทย
サームチャーのリズムで昔からのタイのダンスを踊るなんてどうだい
อันดนตรีไม่มีพิษภัย แต่ยังไงใคร่ครวญคิดดู
音楽には毒も入ってないし危険でもないけどよく考えてみな
ลูกและหลาน มีเอกลักษณ์ ให้ฟูมฟักในความเป็นไทย
どうしたらこれからの世代が自分らしく、タイらしさをもって育つことが出来るのかを
* เรื่องของแร็ป เป็นเรื่องคนดำ เรื่องของร็อค เป็นเรื่องคนขาว
ラップは黒人のものでロックは白人のものさ
อยู่เมืองนี้มีแค่ไทยลาว กินล่ะข้าวเจ้าข้าวเหนียว
この国にいるのはタイ人かラオス(イサーン)人
米やもち米を食べてるんだ
** ผิดหวัง นิดหน่อย น้อยใจในความเป็นไป
ちょっとがっかりだよ
これからのことを考えると挫けそうさ
ไม่รู้เมื่อไร คนไทยถึงจะรักของไทย
一体いつになったらタイ人はタイのものを愛せるようになるんだろう
*** รัฐบาล ผู้น่าสงสาร ก้มหน้าทำงานยังสู้พ่อค้าไม่ไหว
政府がかわいそうだ
頭を下げがんばって働いても商売人には勝てやしない
เอาแร็ปเอาร็อค ล้างหมองคนไทย ค้าขายกำไรลูกหลานช่างมัน
ラップやロックはタイ人を洗脳している
売る方は利益を出すことだけを考え、これからの世代のことなんてどうでもいいんだよ
**** รัฐบาล ผู้น่าสงสาร ต้องไปดูงานของรัฐบาลเวียงจันทน์
政府がかわいそうだ
ビエンチャン(ラオス)政府のやり方を見にいかないといけないな
ทั้งแร็ปทั้งร็อค เข้มงวดกวดขัน เพราะกลัวลูกหลานเขาหลงวัฒนธรรม (ของตนเอง)
ラップやロックは規制した方がよさそうだ
このままではこれからの世代がタイの文化を見失ってしまいそうだ
ความเป็นไทย ยั่งยืนมานมนานนับพันปี แต่บัดนี้กำลังจะถูกหลอมละลาย
千年も守られてきたタイらしさが今ここで失われようとしている
ความเป็นไทยในสายธารแห่งโลกาวินาศ มีโอกาศถึงล่มสลายเพราะนายทุน
タイの伝統は崖っぷちに追いやられている
資本家によってタイらしさが破壊されそうである
(ซ้ำ 繰り返し*, **, ***, ****)
Leave a comment